http://shark-lib-schoollibrary.blogspot.com/2013/03/
School Library Roverさんから転載しました。
K子さんは集団就職のため高校卒業と同時に東京の病院へ行ってしまった。
色とりどりのテープが岸壁の見送る人と船上の人と互いに持合い、色とりどりのそのテープにのせた別れの辛さが風に揺れていた。
蛍の光が流れ・・・遠い水平線への船上のK子さんは見えなくなっていた。
那覇港でのあの時の光景が蘇る。
K子さんは念願の正看護師の資格を獲得し、東京で何年か過ごした。
後に浦添市の牧港の病院、名護市の病院の勤務となり、そこで定年退職を迎えたとの事。
K子さんの従兄弟の朝ちゃんに聴くと、確か婦長まで務めたとか。
頑張ったんだね。素晴らしい。
那覇港でK子さんを見送ったのは確か1968年だったと思う。
時は過ぎ、いろいろな思い出も少しずつかすんでいく。
皆、幸せな時を過ごせていたようだから僕はそれで良かったと思う。