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妻と語る陽水さんのこと
~食後のコーヒーを飲みながら妻との会話です。
秀:最近ね、YouTube見ていて陽水さんの曲をいろいろ思い出したよ。
妻:アパートにいた頃、よく歌っていた曲?懐かしい歌ね。
秀:そう。陽水さんの最初の頃のものだけどね。
今の世の中有難いよね。YouTubeで何でも視聴できるからさ。
妻:あのね、陽水さんの歌ってね、歌詞を見ながら聴いていると何か悲しくなるのよ。
明るい曲を聴いていても、なんか寂しさというか、虚無感を感じるというか、自然に涙が出てくるような。
不思議ねえ、そのような気持ちになるって。
秀:そうだなあ。「カナリア」、「もうじき夏がくる」、「小春おばさん」とかね。
何か、やるせないような感じだよね。
だけど曲によっては男女間の妖しさだったり、「海へ来なさい」とか「瞬き」とか珍しく人に手を差し伸べるような曲もあるし。
それでもやはりペシミスティックさは変わらないね。
妻:あの人はきっともの凄い人みしりなんだと思うのよ。あまり他人に入れこまないという か。人間嫌いという訳でもないと思うけど。
あまり深いつながりを持とうとしていないような。
他人が怖いっていうか。
何か達観して人生の流れに自然体でゆだねている感じだよ。
だから黒メガネ?(笑) 不思議な人よね。
秀:それに歌詞の中にそっと暗喩らしきものを忍ばしたりさ。
さっきの「カナリア」も単にカナリアと人の話だけじゃないだろうしね。
ある本のインタービューで陽水さんが語っていたけどさ。どうやって歌詞を作るかっていうことだったけど。
思いつく単語をぱらぱらと並べていろいろ連結さていくって。
確かにへんてこな文章はあるけど、あの人なりの文章のひねり出し方というか、心の中にある言葉を組み合わせているんだよね。
ある作家が陽水さんの歌詞をほぼすべて並べて哲学的な説明をほどこしていた本があるよ。
それだけ、詩としてしっかり評価されているんだね。
妻:そういうところは、拓郎さんや佳さんとは明らかに違うよね。
あの人たちの歌詞はまっすぐで分かりやすい言葉だもの。
佳さんの内向的な歌とは少し違うけど。
だから陽水さんは今までのフォークソングの立ち位置から早くにどんどん離れて行っちゃったと思う。
結果的に詩人という高みに到達したんじゃないの?
秀:たぶん陽水さんに限らず、あの頃のフォークシンガーはビートルズの影響はかなり受けているよね。
レノンやポールの最初の頃の直接的な表現から、いわゆる詩人のようなものに変わっていったものと似ている気がする。
まあ、ボブ・ディランは最初から詩人だけどね。
妻:嗚呼、そうこうしているうちに陽水さん達も私達もここまで来てしまったのよね。
秀:何だ?またそんな年齢の話か?
てへ、そうかあ、そんな年齢ですか。まともに歌えるのは後5年ぐらいかな?
妻:あなたっ!陽水さんや佳さんの歌を最近歌っていないじゃない。
あなたのまとめている歌集には入っているけど、歌が聴こえてこないじゃないの。
歌ってなんぼでしょう?
あなたが言ってた「自分は周回遅れのフォークシンガーでそのまた後の端くれ」だって。
昔みたいにさ、食器洗いながら、あなたに背をむけていても、あなたの歌を聴いていたんだからね。
あなたは聴いてくれてないって、すねたけど。
秀:あれれ、話がこんなとこに来ちゃったわけ?
♪ 太陽に、負けない肌を もちなさい どこまでも泳ぐ力と・・・・・♪